以前こんな記事を書いた。
「夫がブロッコリーを水からゆでた」と題して、
そのときは気付かなかったが
怒りにまかせて書いたもので
(私は、正しい)という気分に溢れている。
恥ずかしくて削除しようかと思ったが、私にとって大事なことが学べそうな気がしたので
改題し残すことにした。
記事ここから→「夫が、ブロッコリーを、水から、ゆでた。
(な、なんということだ)
五年前の私なら、「信じられない、、ブロッコリーはお湯からでしょ!
甘みもうまみもなくなっちゃうじゃない!!」
とすぐに言うか、内心あきれかえるか、だったに違いない。
今日は、別の道を行った。
夫が作ってくれた夕食を、おいしく頂いて、
「御馳走さまでした」のあとに、
料理本を出してきて、ブロッコリーのゆで方が書いてあるページをみてもらった。
ついでに、他の野菜のゆで方も、みてもらった。
じゅうぶん「むうっ」としていたが、、、、(泣)
人に伝えにくいことをを伝える時は、
時と、相手の性格、状態と、自分との関係を、
よーく感じながら、
(どうすれば、受け取りやすいか)を考え抜く。
どうしても伝えたいなら、戦略が必要だ。
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今日サティシュ・クマールの「君あり、故に我あり 依存の宣言」(講談社学術文庫)をパラパラ読み返していたら
こんな文章が目にとまった。
「…二人の平和主義者の間に衝突はありえず
一人の平和主義者と一人の好戦的な人間の間にも衝突は起こり得ません。
衝突は、
自分のやり方を通そうとする二人の好戦的な人間の間に起こるのです」
(これは、若き日のサティシュ・クマールが、ある著名な人物を訪れた際のその人の言葉として載っている。)
そっかーと思った。
今まで私は、好戦的な人間だったなあ、と思った。
衝突とは、外側に起こるものだけを指すのではなく
たとえば、「卑屈さ」も衝突だし、「拒絶」も衝突だ。
平和主義者なら こう変換できそうだ。
卑屈さ(どうせ自分なんて・・なんだから)→信じる勇気(勇気を出して、伝え方を工夫して気持ちを伝えてみよう、きっとうまくいく)
拒絶(もう関わり合うのはごめんだ)→理解+祝福(+スルーする)(きっとなにか訳があるんだ。私もあなたも、いつかこれを学びに変え、より素晴らしい人生となりますように。ではまた会う日まで)
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私は、ヒッピーのラブ&ピースというスローガンが好き。
愛と平和。
今この瞬間にも、愛と平和を広げるために、息をしている人が
この地球には たくさん、いるのだろう。
どうか、私が、愛と平和を、生きられますように。
すべての人が、
自分の中にある 愛と平和を、大切にできる世界に なりますように。
・・・・・・・・今日、ブロッコリーのゆで方から、考えたことでした。」
以上です。
なんか、気持ち悪いのは、
全体に(私が、正しい)というきもちが流れているからだろう。
きっと、いつも、私はこうなのだろう。
表面では、相手に合わせているつもりで
内心(私が正しい)と思っているのだろう。
書いていて、本当に、自分が嫌になってきた。
(私が正しい)を手放したい!
どうすれば、いいのかな。どうすれば、(私が正しい)を手放せるのかな。
アイリンが言ってくれたこと「ご主人をほめる」をもっともっとやろう。
他に、(私が正しい)というエゴを手放すために、
できること、ご存じの方、教えてください。
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